渡辺雲僲(わたなべうんせん) 

日本画家 1892年~1972年

嘯月庵 雲僲(しょうげつあん うんせん)=渡辺 雲僲:わたなべ うんせん、

本名:渡辺 俊彦雲僲は広島に生まれ11歳の時に里見雲嶺に学び、初号は啓迪(けいてき)。後に京都の鈴木松年に学び、嘯月庵 雲僲と号す。尊敬する頼山陽の名づけた耶馬渓を目指し大分県中津市に居を構えた。深く禅宗に参禅し、僧籍をもつ。生涯をかけて耶馬溪を描き続けた耶馬渓を愛し600枚以上の耶馬渓の絵を書き続けた。作品に「深耶馬渓錦豊」「羅漢寺白光」(大分市美術館所蔵)金鱗玉藻」(広島県美術館所蔵)、600枚もの「耶馬探勝図」等がある。

     羅漢寺白光           深耶馬渓錦豊    クリックすると大きくなります    

      大分市美術館 近代日本画の状況より 

 この二作品はともに昭和11年頃の製作と推定されるが、両者とも、樹木の枝葉から奇岩の岩肌にいたるまで、画面の隅々までとことん描きこむ細密描写により表現されている。
  個々の捉え方は立体的に、写生的になされているが、画面構成、画題の設定等にかんしては、あきらかに典型的な南画といえる。
  細密な写生描写による山水画、ともいうべき珍しい作風が展開されている。山水を独特に展開させた近代の作家に、山本春挙、結城素明といった作家があげられるが、彼らの作品では、空間構成という点に関しては山水だけでなく風景といった意識も窺われていた。
    しかし本作の場合、そういった意識は希薄となっている。その意味では雲僊は、いわゆる新派の立場ではなく、旧派の立場で新しい表現方法をとり入れたのであって、このニ作はこれまであまり明白になっていない、旧派系の作家たちの近代化をし知る上で、貴重な作品であるともいえる。
     

母方の祖父にあたります。風貌といい経歴といい 仙人とはこういう人をいうのだろうと子供心に思っていました。
わたしが11歳のころに亡くなりましたが 常に雲僊さんの作品は周りにありました 季節時節ごとに家中の絵が変わり、日照りが続けば「おじいちゃんの竜を出そう」と」竜の絵を出します。
雷が鳴れば「雲僊さんが・・・」と会話し 実体はなくとも、存在は強く残って・・・・作品を作るということはそういうことなのだなと思います。
今でも お寺や美術館に行けば会えます。

 明治生まれの男性にしては 人間味のあるオモシロイ人です
絵を描く以外にも なんでもできる人で料理も 着物さえも自分で縫えたそうです。故にまつわる逸話は数あります

アジサイ科とは アジサイ亜科に8属 とバイカウツギ亜科7属に分かれ、その中には 16属があり、アジサイ属 クサアジサイ属 ギンバイソウ属 ジョウザンアジサイ属 バイカアマチャ属 イワガラミ属ウツギ属 キレンゲショウマ他7属があります。 

 

注) 2009年発行の植物分布表(大場秀章著)で、アジサイはユキノシタ科から新しくアジサイ科に分類されました。

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2012年に耶馬渓風物館に公認されました。

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